花に出遇う

 冬の寒さで、つつじの花がうまく咲いてくれるか心配でした。自然はうまくできているものだとつくづく思います。4月下旬の暖かさ(夏日)でみるみる蕾が大きくなり、5月のゴールデンウィークには見事に庭に彩りを添えてくれました。ホッとしています。
 私自身、寺を継いだことで、花と深く関わってきました。関わらなくてはならなくなったという方がふさわしいかも知れません。仏前のお花、客殿のお花を生けることや庭のつつじの管理など。日常花に触れていますと、花のある生活の大切さを強く感じます。日常生活の中ではなくても足りるものですが、「花を添える」「花がある」と喩えられるように、花が空間にあることによって、豊かさが生まれます。
 近年日本社会では、合理化、効率化が叫ばれ、無駄を無くすための努力がされました。お茶やお花を学ぶ若い人が、極端に減ってしまいました。パソコンなど就職に有利になるものを学ぶ方が得であるという考え方が、あるように思います。お花を習っても何も利益となるものを生まないという考え方かも知れません。まさに合理化、効率化の波を受けたことなのだと思います。しかし、昨今の経済の低迷する中で、企業は、生き抜いていくため合理化を図り、リストラ、解雇、派遣社員の採用など、より一層厳しい社会状況の中、生活の余裕は生まれないように思います。
 「ムカデの悲哀」というお話があります。ムカデを棒に上らせると、ただひたすら上に向かって登り、先端に至ってもまだその上を目指して上ろうともがくといいます。ムカデの習性なのでしょう。その話を書かれた先生は、地に下りて、自由に歩き回ることを勧めています。
 かつての日本は、貧しい国でした。しかし、その時代にあっても日本人は花を大切にし、生活空間に彩りを添えていました。心の豊かさは、物が豊かであってもなくても
変わらないと思います。

得手不得手に関係なく、花を活けてみませんか。
そこにきっと何か見えてくるものがあるように思います。